由来
元明天皇和銅二年(七百九年)に越後一の宮弥彦大神の託宣により建立された越後最古の古刹です。
国上寺の由来
国上山は、以前古志郡越の山という名所であり、雲高山もしくは雲上山と言われていました。飛鳥時代より蒲原郡に属し、聖徳太子がこの山に登って雲上記を書かれたとも伝わっています。また、その折に大悲千手観音の像を彫って、北海鎮護仏法最初の霊地と定めました。大悲千手の像は雲上、雲高にあることから「くがみ」と言われておりました。今「国上」と書くのは孝謙天皇が御宇にて「国中上一寺」と詔勅されたことが由来です。また、万葉集には久賀躬と書かれています。
当山の草創
元明天皇和銅二年(七百九年)に越後一の宮弥彦大神の託宣(神様の言い伝え)により建立された、越後最古の古刹です。弥彦神社の本地として崇められ、代々別当寺として古記に分明されています。
格式としては、孝謙天皇より御宇にて正一位を賜り、北海鎮護仏法最初の霊場として信心のより所とされてきました。
ご本尊と宗派
御本尊は上品上生の阿弥陀如来であり、聖武天皇の御后光明皇后により賜った霊仏であると伝えられています。
御本尊
御本尊は上品上生の阿弥陀如来です。縁起等によれば、行基菩薩の御作婆羅門僧正の御開眼にして、聖武天皇の御后光明皇后により賜った霊仏であると伝えられています。現在は、子年(12年に1度)の開帳としています。
宗派
開山当初は修験道でしたが、時代の権力者の庇護により改宗され、法相宗・天台宗・真言宗醍醐派と転じ、現在では真言宗豊山派に属しています。